くるま日記  208 2004年2月3日〜2004年2月12日

3日 / 6日 / 12日

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2004年2月12日(木)

 前の更新からすでに1週間近く経っておりまして、すみません^^。

 そういえば、今日、映画「壬生義士伝」のビデオの返却日だったので、返してきました。観ました。なかなか、複雑な心境でありましたが、非常に感動し、涙がちょちょ切れました。

 最も心にしみたのは、やっぱり早池峰山、東根山、早池峰山、岩手山のセリフかなぁ。最後にももう一度出てくるセリフですから演出としても最もパワーをつぎ込んだ部分とは思いますが、確かにこの情景ってのは素晴らしいと思うんです。私としてはこれに秋田駒ヶ岳を加えたいですが(笑。

 この情景が最もわかるのは、盛岡よりちょっと秋田側の、太田という地域で、この辺は大きな建物もないので四方が良く見渡せます。そしてこの壬生義士伝4山+秋田駒ヶ岳が、良く見えるんですよ!

 で、盛岡からの四方の山の情景を主人公が口にしている、ということではなくて、ほぼ100年前の人も同じ景色を見て、心の奥に思うところがあったんだろうなぁ、っていうところが最も心にしみました。だから、これは富士山であっても御嶽山であっても、太平洋の朝焼けであっても、同じことなんだと思います。ただ、私の心象風景がメディアと同じだったというだけであって、、、

 こういう気持ちが、私がいにしえの道に魅かれる所以なのだろうと思います。ちょっと前の人と繋がっているということ、それは、ずーっとずーっと前の人と繋がっているんですよね。「どこまでもゆこう。道は険しくとも」です。次回更新は来週になりそうです。


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2004年2月6日(金)

 仕事で外に出てお客さんと会って話をするのって、とても気分が晴れ晴れとします。なかなか家の中での作業が多いので、やっぱり多くの人と話をするのがいいなぁって思いますね。喉の痛みはなかなかなくなりません。でも体調が悪いというわけでも無いし、長引く風邪、手な感じ。昨日、レンタルビデオ店で、壬生義士伝を借りてきました。週末のうちに見ておかないといけません。たぶん面白いんだと思います。感想を書くことにします。今日はこのへんで。


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2004年2月3日(火)

 週末に、ちょっとドライブに行ってきたのでその写真を掲載します。

 赤ん坊が一緒なので、何時間も車に乗せているわけにはいかないので、だいたい2時間で返ってこられるところに行きます。目的地は特にないんですが、普段通らない道とか。

 先日は、沢内村の方に行ってみました。盛岡から南側なのですが、少し秋田側に出てから南に下がるので、普段見慣れている国道4号沿いの山々の裏を南下していく感じになります。沢内村というと私は豪雪地帯というイメージがあるんですが、今年は道路に雪がほとんどありません。そのまま南下していくと、湯田温泉郷に着きますが、そこまで行くと帰りが大変なので途中で引き返してきました。

 Uターンしたのは沢内銀河高原という、銀河高原ビール(地ビール)とホテルと温泉が一緒になっている施設です。

山懐という感じでとても落ち着けるところです。

 ここまで来る道路の途中、北側の雫石町と沢内村の境が、トンネルになっています。何気なくトンネルを走っていたのですが、道路の山際の上のほうにガードレールを発見。あっ、これは旧道だ!というわけで、車では行けませんでしたが写真を撮ってきました。

左側がトンネルに続く道路で、雪で埋まってますが右側にコンクリートの壁があります。 ちょうど車が入っていけるようになっています。でも雪が崩れていてこの先は通行不能。
山ひだを縫うように旧道が見えます。 トンネルに続く新しい道路を囲む山には延々と旧道の跡が、、、

 盛岡から秋田、田沢湖に抜ける道路も、仙岩トンネルがあって、ほんの数十年前まで山を越えていた旧道がまだ残っています。今では少しスピードを出してもトンネルなのであっという間に沢内村に着きますが、トンネルが無かった頃は延々と旧道を走っていかなければならず、随分と遠い場所だったんでしょうね。旧道好きに火が点きました。いつかこの道路も歴史をひも解いてみようと思います。

 それと、岩手山の南側から写真が撮れたのでそれも載せてみます。

南側からだと、左側(西)に伸びて秋田の駒ヶ岳に連なる山が良く見えて、盛岡からの景色とはまたおもむきが異なります。 ちょうど、小岩井農場側の岩手山です。岩手山が地震になったときこちら側の登山口が閉鎖になりましたが、そろそろ解禁されるとか。

 話は変わって、先ほどプロジェクトXをみていたら、ヤマハの船外機が世界一流になるまでの話をやっていました。なんかとても心が晴れたなぁ。というのも、設計者はトヨタの2000GTのエンジンを設計した人だったのですが、なにしろ相手は漁業者で、エンジンのプロでも漁業のことはわからない。だからヤマハの営業は世界に日本の漁業を教えながら、船外機を販売して歩いたそうです。確かに日本は島国で、どこ行ったって海がありますから、漁業の文化は豊富ですよね。使う人のことを考えてそこから物事を変えていくという頭の切替は、なかなかできることではないよね、って思った次第です。

 さあ、今週も風邪に負けずガンバロっと。


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